酒飲み話レベルのちょっとした自慢話のコーナーです。自慢話ですから、他人が読んでも、あまり面白いものではないかもというつもりでお読みください。
SMAP稲垣吾朗の人形演技指導
中島かずき脚本による「月晶島綺談」という舞台での彼の役は、記憶をなくした腹話術師。そこで僕に声がかかった。
感心したのは、彼が仕事という意識をしっかりもっていて、座長という重責への自覚があること。アイドルもあそこまでいくと、いろいろ大変なんだろうなと思う。
それにしても、共演の羽場裕一氏の動きには舌を巻いた。人形を持っていて動けない稲垣氏の周りで、舞台が絵になるように、いつのまにかいい位置に移動してるのだ。
テレビ人形劇で脚本と演技を担当
TV東京「ハローキティとバッドばつ丸」の中の「ぽこぽん・もん吉の忍者修行」という人形劇コーナーで、脚本と人形演技を担当した。
1クール(4半期)の予定が好評につき、もう1クールの延長をすることになった。13回のつもりで書き出したのが全26回となり、旅先のホテルから深夜台本をメールするという事態に、あえなく共同執筆者を頼むはめに。ホント、放送作家はえらいと思う。
通常、映像の人形劇ではセリフを先に録音して、それにあわせて人形を遣う。だが、僕は、えらそーに「人形劇というのは視覚的な演技が重要なので、絵を撮るときにセリフを言いますので、それをガイドに声優さんに声をつけてもらってください。」と言っていた。実際に撮ってみると、これは正解ではあった。しかし、田中真弓さんをはじめとするプロの声優さんのつけたセリフの方が常におもしろかった。とほほ。
世界の舞台で絶賛を浴びる
世界の人形劇界にはUNIMA【国際人形劇連盟】という組織があり、100ヶ国近くが加盟している。四年に一度総会を行い、同時にェスティバルも開かれる。第19回大会はクロアチアのリエカで開かれ、僕の演出作品『シアタートライアングル』が選ばれた。しかし、助成金獲得の失敗などで渡航費が捻出できずにいたのだが、人形劇やこども劇場の関係者、ファンの方からの支援を受けて、行かさせてもらうことになった。本当にありがったかった。
おかげで、上演は大成功。終演後、何度も何度もカーテンコールを受ける。長く無く続いたスタンディングオベーションは、気持ち良かったなあ。
バラシがおわって、カフェでビールをのんでいる時も、街の人がうれしそうに声をかけてくれるし、空港までのバスでは尊敬をする世界の人形劇人から声をかけてもらった。
その後、シアタートライアングルは、4年後の2008年、第20回のオーストラリア・パースにおけるウニマ大会でも招待作品に選出。2回連続出場という快挙を果たします。スペインやチェコ、韓国などでも招待公演を行い、そして、シアタートライアングルラストイヤーとなった2009年6月。チェコで隔年で行われているプロによるこどものための国際人形劇フェスティバル「マテジンカ’09」において、5歳以上の部門のグランプリと出演のチカパンと小川耕筰に対しての最優秀演技賞のダブル授賞となるのでした。えっへん。
海外で演出
2015年夏にアメリカのフェスティバルで、ポーランドの敏腕プロデューサー、マレク・バシュケル氏に会う。彼は、僕が上記の『シアタートライアングル』の演出だとわかると、その巨体を押し出してきて「日本―ポーランドの共同プロジェクトでそれの新作をつくろう!」と持ち掛けてきた。多少の紆余曲折があって、三角形をつかって季節を表現するというコンセプトはそのままに、ポーランドの四季をテーマにした『4つの季節の物語≪PORY ROKU≫』は、いいだ人形劇フェスタ制作という形で動き出し、その年のいいだ人形劇フェスタで無事初演をむかえる。
出演は、飯田在住の音楽的道化師ましゅ&Keiとマレク氏が当時芸術監督を務めていたポーランド、ポズナン市立の名門人形劇団テアトル・アニマツィの3人の役者。勿論、ポーランドでも公演をし、その後テアトル・アニマツィに役者によるポーランド版が同劇場のレパートリー作品となる。
それ以前にも海外でワークショップの講師を務めたりしたことはあったんだけど、本格的な演出は初めて。とても豊かな環境の元でやった稽古はとても楽しかった。また、どこかの国の人たちと作品をつくりたいなあ。